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2010年4月18日 (日)

「モーリス・ユトリロ展」 損保ジャパン東郷青児美術館

「モーリス・ユトリロ展」 損保ジャパン東郷青児美術館

2010年4月17日(土)~7月4日(日)

Utrillo 以下、パンフレットより。

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エコール・ド・パリの時代を代表する画家として知られるモーリス・ユトリロは(1883-1955年)、女流画家であったスュザンヌ・ヴァラドンン(1865-1938年)の息子としてモンマルトルに生まれました。父親が誰だかわからないうえ、恋多き母親に顧みられないユトリロは、8歳頃から酒の味を覚え、強度の飲酒癖を持つようになりました。絵を描きはじめたのは、1905年(22歳)頃といわれ、アルコール依存症の治療のために医師に勧められたことによるものでした。画家としてのスタートは決して早いとはいえないうえ、ほとんど独学で自らのスタイルを築き上げ、成功をおさめることができたのは、生まれ持った才能なのでしょう。
ユトリロは生涯風景ばかりを、それも生まれ慣れ親しんだモンマルトルを多く描き、独特の“白”を基調に描いた作品は、高い評価を得て人気を呼びました。

パリで人気の観光スポットであるモンマルトル。サクレ=クール寺院の正面を背にするとパリの街が一望でき、すぐ近くのテルトル広場では観光客相手の似顔絵描きがイーゼルを立てて旅人たちを待ちかまえています。
ユトリロが生きていた時代、ここは国内外から多くの芸術家たちが集まる“芸術村”で、パブロ・ピカソ(1881-1973年)、ジョルジュ・ブラック(1882-1963年)、アメデオ・モディリアーニ(1884-1920年)、フェルナン・レジェ(1881-1955年)などが住んでいた“バトー・ラヴォワ-ル(洗濯船)”や芸術家が集まり激論を交わしていたシャンソン酒場“ラパン・アジル”がありました。しかしユトリロは特にそれらの作家たちと親交を深め芸術運動に参加するということもなく、ごく自然に日常としてのモンマルトルを描き続け、“モンマルトルの画家”として広く認められています。

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わたしは今までユトリロを知らなかったのですが、どうやらかなりの人気者らしく、今回の展覧会でも初日に850人が訪れたそうです。

定規で書いたような直線と漆喰の白で描かれた建物の絵が多いのですが、よく見てみると同じ場所を違う角度から描いていたりしておもしろいです。

絵のほとんどが、モンマルトルを描いています。ムーランルージュの風車や、サクレ=クール寺院がよく出てきます。

以前、Bunkamuraにロートレックを見に行った際にもこのブログに書いたのですが、最近「モンマルトルやムーランルージュ」関連の絵を見ることが多く、これは一度、映画ムーランルージュを見ないと話にならない気がしてきたので、GWに見ようと思います。

そして実際、モンマルトルに行ってみたい!!

Utrillo3

ユトリロを語るうえで、“アルコール依存症”というのは切っても切れない話ですが、皮肉にもそうであったがために、画家として成功したのかもしれません。

しかも、奔放な母親ヴァラドン(ロートレックの絵のモデルもしていた)は、1914年にユトリロの友人のユッテルと結婚しています。ユッテルは結婚後、もっぱらユトリロの生活を管理し、お酒を飲みすぎないよう見張ったり、絵を描くように指図したりしました。

アルコール依存症の時も治療中は塀の中で絵を描き、その後も母親とその夫(友人)の生活を支えるため、絵を描き続けたと言われています。

なんともかわいそうな人生ですが、だからこそ生まれた芸術なのかもしれません。

※左からユトリロ、ヴァラドン、ユッテル
Utrillo2

人と違う思いや、つらいことがないと、芸術は生まれづらいのかもしれませんが、かといってあえて辛い思いをしにいくべきか、というと私はそうでもないような気がしてなかなか難しいジレンマです。
まぁこういうのは深く考え始めるとキリがないので、ユトリロらしくはないけれど、今回の展覧会で見てわたしが一番好きだなーと、思った絵です。
カラフルだし、エッフェル塔が描いてあって、“パリ”って感じでよいです。

Utrillo4

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