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2010年3月

2010年3月28日 (日)

アサヒアートスクエア

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浅草に行くと必ず目にとまるこのビル。
右側のビルは「炎のオブジェ」でアサヒビール社の熱情を表したものだとか。
(だいぶ無理のある解釈)
設計者はフィリップ・スタルク

そのビルに、先日舞台鑑賞のため訪れました。
まさかこのビル内に入ることがあるとは思っていなかったので、このビルだとわかった瞬間、かなりテンションが上がりました。
ビルの名称は「アサヒアートスクエア」といいいます。

☆アサヒアートスクエア
http://www.asahibeer.co.jp/csr/philanthropy/artsquare/

鑑賞した舞台は、「エイブルアート・オンステージ コラボ・シアター・フェスティバル」です。
会社の後輩に誘っていただき、何の気なしに観てしまった結果、表現が独特すぎて観おわったあとも自分の中でうまく整理できませんでした。
家に帰ってからパンフレットを読んでみると、以下の趣旨で行われている舞台だそうで、「そういうものだったんだ。」と、妙に納得しました。
たしかに、これまで見たことのない表現でした。

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【エイブルアート・オンステージ】は、障害のある人たちと、新しい表現に挑戦しているアーティストが出会い、コラボレーションすることでこれまで見たことのない表現や作品をつくる舞台芸術プロジェクトです。

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舞台終了後、アサヒビール、カクテルパートナー、十六茶などを配布してくれ、いただきました。
こういう活動もあるんだなぁと、いままで知らなかったこのビルの存在意義を知った一日でした。
このビルに対する感じ方がかわりそうです。

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2010年3月22日 (月)

ゴッホ「ひまわり」

損保ジャパン東郷青児美術館

以前、東郷青児について掲載したので、今回はゴッホの「ひまわり」について記載したいと思います。

≪参考≫
「フィンセント・ファン・ゴッホ ひまわり 解説」_発行:損保ジャパン東郷青児美術館
「ファン・ゴッホとひまわり」_ルイ・ファン・ティルボルフ

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ゴッホは、その生涯においてたくさんのひまわりを描いていて、大きく3つの時期の作品にわけることができます。

ひとつめは、
「パリで描かれたひまわり 1886-1887年」です。

1886年3月初め、パリにやって来たゴッホは印象派をはじめとする当時の新しい絵画に接し、その明るさに触発されました。それまで用いていた暗い色が時代遅れであることを感じたゴッホは、自らの作品に明るさを取り入れるために花を集中的に描き始めます。花の静物画は、色合いや構図を自由に組み合わせることが容易でした。花を描くことでゴッホは色彩の研究を試みたのです。
当初、ゴッホの「ひまわり」はこういった静物画や風景画の一部として描かれていましたが、やがて単独で取り上げられるようになりました。

よって、この時期の作品は、水彩画で道端のひまわりが描かれているものもあって、一般的に見慣れている花瓶に入ったひまわりと比べると、軽い爽やかな感じで、新鮮さを感じます。

ふたつめは、
「アルルで描かれたひまわり 1888年」です。

1888年2月、ゴッホはパリから南フランスのアルルに移り住みました。ここでゴッホは画家仲間たちと共同生活を計画し、その舞台であるアトリエをたくさんの「ひまわり」の絵で飾ろうと考えました。
1888年夏、まず青い背景に黄色いひまわりを描いた3枚が、そしてすぐ後に黄色い背景に黄色いひまわりを描いた4枚目のひまわりが完成しました。
完成した4枚のうち2枚のひまわりは実際に、ゴッホが敬愛するゴーギャンの部屋に飾られたといいます。損保ジャパン東郷青児美術館のひまわりは、ゴーギャンの部屋に飾られていた1枚です。
希望に満ち溢れているこの時期のひまわりが、一番生命力に溢れています。

最後は、
「アルルで描かれたひまわり 1889年」です

ゴッホとゴーギャンという個性的な二人の画家の共同生活は1888年12月、わずか2ヶ月で終わりを迎えました。
ゴーギャンとの関係は日を追って悪化し、精神的に追い詰められたゴッホは自らの耳の一部を切り取り入院、この事件を機にゴーギャンはアルルを去りました。
1889年1月、ゴーギャンからゴッホに、ひまわりの絵が欲しいという内容の手紙が届きました。その時すでにひまわりに愛着を抱いていたゴッホは、その申し出をいったん断っています。しかしゴーギャンがひまわりを認めてくれたことを名誉と感じ、そして自ら傑作と認めていたひまわりを選んだゴーギャンの鑑識眼に敬意を表し、ゴッホは夏に描いたひまわりを元にして、ゴーギャンのために新たなひまわりの複製を政策することを手紙の中で伝えています。
その時描かれたひまわりは、1888年に描かれたひまわりよりまろやかなタッチで描かれています。

ゴッホの絵は、ゴッホ美術館の“ルイ・ファン・ティルボルフ”さんが、「これはゴッホの絵」と認めないと、正式にゴッホの絵として認められないそうです。損保ジャパン東郷青児美術館のひまわりは、他の人が描いた疑惑があったそうですが、2001年にティルボルフさんに再鑑定を依頼し、正式にゴッホの絵として認められているそうです。
損保ジャパンがこの絵を購入した時期は、日本はバブルの真っ只中で、この絵以外にもたくさんの名画が購入されたそうです。
しかし、そのほとんどがいまでは転売されてしまい、現在、その時期に購入された名画で、日本に残っているのは、このゴッホのひまわりだけ。と、言われているそうです。

ゴッホが生き生きとしたひまわりを描いた、南フランスのアルルの地に行ってみたいです。

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2010年3月14日 (日)

銀座

銀座でいろいろな展示を見てきました。

当初の目的は、宮島達男「その人と思想」展を見に行くことだったのですが、銀座はいろいろなお店で展示会をやっていて(無料)、ふらふらしていて飽きませんでした。これぞ銀ブラ。

芸術といえども経済的視点は大切なわけで、そう考えるとショップや百貨店の果たす役割は大きいなぁと思った1日でした。

√ 宮島達男「その人と思想」展 at BLD GALLERY
http://bld-gallery.jp/exhibition/100204miyajimatatsuo.html
宮島達男の作品といえば、発光ダイオード(LED)を使用したデジタル・カウンター作品ですが、それ以外にも「アーーーーーー」と突然叫ぶ作品など、いろんなことしていることがわかりました。
現代美術はへんてこだけど、なぜか吸い寄せられるものがあって好きです。おなじ時代にこんなこと考えている人がいるんだー。って。

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√  Francoise Gilot「A Life in Art」 at CHANEL NEXUS HALL
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2010/gilot/index.html
シャネル銀座の4階に「CHANEL NEXUS HALL」があり、そこで展示会が開かれていました。エレベーターで4階まで行ったのですが、ボタン、階数表示までCHANELのロゴが使用されていて、なんだか場違いなところに来てしまった。。。と思いながらも、ホール到着。

(以下、パンフレットより抜粋)
画家 フランソワーズ ジローは、フランスで生まれ、幼い頃から絵画を通じて自己を表現してきました。美しく聡明な彼女は、ピカソが愛した多くの女性たちの中でたった一人、彼に反旗を翻した存在としても知られています。「ラ・ファンンム・フルール(花の女)」と称され、ピカソのミューズとして彼との間に2人の子供をもうけ、家庭らしい家庭を営んだという点でも唯一の女性でもありました。
ピカソと過ごした10年間、アメリカ人サイエンティストとの出会いと結婚・・・
そのドラマチックな人生の歩みとともに作風を変革させながら、現在もなおエネルギッシュに作品を描き続けています。。。

とのことなのですが、作品自体よりもピカソのモテっぷりに改めて関心。
ジローの絵は個人的には好きだとは思いませんでしたが、激動の人生を歩み、今なお精力的に活動を行っており、HPに載っている現在の風貌からもその聡明で力強い雰囲気が伝わってきます。そんな素敵な女性をとりこにしたピカソってすごい。きっと海老蔵みたいな感じだったんだろうな。

√ 内田新哉「空の青を追いかけて」 at 松屋銀座7階アートコレクション
http://www.uchida-shinya.net/index.html

水彩画の素敵な作品がたくさんありました。水彩画って小学生の時にはベタベタ絵の具を塗ってしまっていたけれど、淡い濃淡を楽しむものなんだなぁと思いました。

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和モダン

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フラワーケーキ

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今回は「フラワーケーキ(ハート型)」のアレンジでした。

先生の見本を見せてもらった時点でかわいくって心躍りました♪

ポイントは、
「可愛らしいアレンジ。まるみをつけてふっくらと!」
だったのですが、なんか鋭角なハートになってしまいました。中心部を高くして、端にむかって低くしていくともっと丸みが出たそうです。

アレンジの仕方は2つあります。

1.ビーダーマイヤー型
同心円で、中心から円を描くように同系色の輪を作っていきます。でもハート型ということは忘れずに。わたしは今回、ビーダーマイヤー型にしたつもりです。。。

2.ミックス型
色の配分、花の配分をバランスよくアレンジしていきます。

友達は、黄色メインのお花に、ミックス型でアレンジ。ほんもののケーキみたいでかわいいです。そして丸みも出ている。
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今回の花材でめずらしいのが、「わすれな草」です。ちっちゃな水色のお花です。わすれな草が切花で売っているのは本当にめずらしいことだそうで(鉢植えがメイン)、先生が興奮していました。先生は花を愛する乙女です。バンクーバーオリンピックのメダル授与の際のブーケは色が少なくって物足りなかったとブーブー言っていました。かわいい人です。まぁあのブーケはあのブーケでいろいろ意図するところがあったようですが、わたしもカラフルな方が好きです。

☆バンクーバーオリンピックのブーケの記事
http://vancouver.keizai.biz/headline/818/

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先生から教えてもらった「わすれな草」の名前の由来が切なすぎてメモしとくこととします。
(以下、Wikipediaより)

中世ドイツの悲恋伝説に登場する主人公の言葉に因む。

昔、騎士ルドルフは、ドナウ川の岸辺に咲くこの花を、恋人ベルタのために摘もうと岸を降りたが、誤って川の流れに飲まれてしまう。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸に投げ、「Vergiss-mein-nicht!((僕を)忘れないで)」という言葉を残して死んだ。残されたベルタはルドルフの墓にその花を供え、彼の最期の言葉を花の名にした。

このような伝説から、この花の名前は当地ドイツで「フェアギスマインニヒト(Vergissmeinnicht)」と呼ばれ、英名もその直訳の「フォーゲットミーノット(Forget-me-not)」である。日本では、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によって初めて「勿忘草」「忘れな草」と訳された。それ以外の国々でも、同様の意味の名前が付けられている。

花言葉の「真実の愛」「私を忘れないで下さい」も、この伝説に由来する。

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